Latest Posts
カーリングの「チーム青森」の新ユニフォームデザインが決まったとラジオで言っていた。
なにやら「大漁旗」をそのまま使ったデザインらしく、昨年の震災からの復興を祈念し、津波被害にあった沿岸部を応援する意図があるらしい。
デザイナーの人も「赤を基調とした、青森を彷彿とさせる力強いイメージで」と言っていた。
が。
もはや「チーム青森」じゃなくて「チーム沿岸」もしくは「チーム東北」になっちゃってね?
なんでも震災震災って、しつこくね?
復興は大事だし、被災地の方々にがんばって欲しいし、そのためにできる事があれば勿論力を貸したい。
だが、こういうのはすっかり違うと思う。GKB47といい勝負なくらい。
いいかげんもういいだろ、震災ビジネス。
飽きた。
Hyper-Vのゲストを止めずにバックアップできないものかとずっと思っていたのですが、
Windows2008R2に付いてるWindowsServerBackupで出来たんですねぇ。
ただ、そのままでは出来ないのでレジストリの追加が必要。
HKEY_LOCAL_MACHINE\SOFTWARE\Microsoft\Windows NT\CurrentVersion\WindowsServerBackup\Application Support\{66841CD4-6DED-4F4B-8F17-FD23F8DDC3DE}
“Application Identifier”=”Hyper-V”
後はバックアップする際にゲストフォルダのあるボリュームを丸まる指定して、詳細設定で「○VSS 完全 バックアップ」を指定します。
リカバリは、ボリューム丸ごとかアプリケーションを指定して行います。
※ボリュームならゲストの再登録が必要
ということで、現在テスト中。
※ゲストとホストのVSSで連携してスナップショットをとるとのことで、2000やXPでは動かしたままは出来ないとのこと。
またもや自宅サーバーがお亡くなりに。
氷点下で動かし続けたためか、電源が逝ったのに無理に動かしてマザーも言った模様。
別PCで再構築したいが、現行のクライアントを仮想ホストにするとグラボの性能がクソになるので却下。
現状を確認すると、
①自作機 XEON SBS2003
※ダメポ
②自作機 corei7 Windows7
※フルパワー使いたい
③mac mini(late 2009) OSX Lionアップデート済
※使ってない
④mac book air OSX Lion
※HDがいっぱいいっぱい
結果として、もうひとつParallelsデスクトップを購入して、mac miniでSBS2003を動かすことにしました。
Parallels 2個目は購入済み。メモリ2Gだったので交換用の8Gメモリ発注済。
当面はサーバー再構築でまた大変そう。
故障原因の調査は資金が出来るまで保留の方向。
怪しいのは、電源→マザー→BIOS→HDD→メモリ→CPU
UPSも若干動作がおかしい。
本日は仕事で原燃へ。
といっても関係企業の事務所などがある、奥の方へ行ったのですが。
友人から借りた測定器の電源をいれ、荷降ろし開始。
車内から断続的に「ピ ピ」というアラーム音が聞こえます。
アラームは0.13μSv以上で鳴るように設定してあるようですので、その辺の数値が出ていることでしょう
などとタカを括って車内に戻り、測定器を見てみると0.25μSv。 ちなみに安定値。
今回は企業関係者の方々が周辺を歩いていたので、屋外でゆっくり測定はできなかったのですが、車内の足元のマット付近において測定したので、地表からの高さは約30cmといったところでしょうか。
雪も降って積もったし、地表の測定はできないなー とか思っていましたが、コレは!
近所のコンビニで、大急ぎで靴を雪で洗い清めました。
ついでに僕の胸の高さ(約140cm)あたりでの線量は 0.16μSvでした。 こちらも安定値。
運んだ荷物が0.08μSvだったのは不幸中の幸いでしょうか
しばらく大人しくしてるかと思ったクレイジー婆、大騒ぎ。
早朝から表で歌うわ、大声で人の家の悪口いいまくるわ、近隣の家と悶着おこすわ。
そのうち、逆鱗に触れたのか、向かいの家の玄関をガンガン殴り「出て来い!!」とか。
そしたらカミサンが
「逮捕されたみたいよ」
的なww
どうやら、他の家にも同じ事をして、しかも鍵を壊して家に入り込もうとしたらしく(もちろんソコの家の人は何もしてません)。
さすがにそれを見かけた人が「何やってんの!!」と通報。
タイーホwww
精神疾患ということで病院に叩き込まれ、現在は親戚宅にて療養中らしいのですが、一ヶ月ほどすると戻ってくるらしい。
戻ってきたら・・・めんどくせええwwwww
先日、手術で2週間くらい入院してたわけですけど。
手術自体は大した事ないソレで、病気自体も命に関わるようなものではないのですが。
思ったより「大変」でした。
手術そのものもそうだし、周りの反応もそうだし、何より入院が長くて、気持ち的に病人モードに。
そのせいと言うわけでもないのかも知れませんが、
「生きてるうちにやれることやっとかにゃイカン!」
と思いました。
自分だけに限った話じゃなくて、当然ですが周囲も。
そんなわけで、最近は老いた親父や叔父、叔母の相手したりしてました。
自分より多分先にいなくなる存在。
生きているうちに「一緒に」なにか出来るなら、やっとかないと後悔しそうだなと思ったので。
自分が生きてるうちに
大切な誰かが生きてるうちに
何かしておきましょう。 何かを。
1Fに住む、クレイジー婆。
最近、少し頭がまともになったかな? 普通に挨拶するしな なんて油断していたら、来ました。
怪文書。
以下、原文ママ(メモ用紙4枚)
1 こしこにある食器つかうな バイキンついている 夜くらくなってからいけ はるあとでお金もってくるから 神様部屋におけ
2 国松の仕事もそこではたらけ 仕事仲間だれもうたがっていない きかれたら国松二人いるといえ 北海道にいると
3 がんばるんだよ よその人のことはきにするな おがんでやるから
4 大根はみそしるにしてたべなさい いおりさんこまったことがあったらわたしに相談しなさい TEL○○○-○○○○
すいません、気持ち悪いです。
以前、頭のおかしい人から来たメールに通ずるものがあります。
狂人の書いた文書です って感じの見本です。 いや、本当に少しヤバい人なのですが。
いつもいつも、なぜウチがターゲットにされるのかとカミサンが嘆いております。
そりゃ嘆くわ。
っていうか、だから今日は俺の誕生日なワケでさ、ね。
なんでこんな・・・どんな誕生日やねんwwww
40年生きました。
あと還暦2回迎える予定ですので、160まで生きます。
キツいっすね
次女が生まれる前に会ったっきりですから、実に6年ぶりに叔母が名古屋から。
実家の父と、その弟と、妹(叔母)の3兄弟。
数多い兄弟の、最後の3人。
あとは病気やら何やら、以下略ですけども、この世で兄弟と呼べる最後の3人。
一同 posted by
(C)HIDE@いろはす
年齢も年齢になってくると、今回会えないと次いつ会えるだろう みたいな事も当然考えると思います。
うちの親父が最年長(80)になりますので、なおさらです。
たとえば同じサイクルでまたくるとして、次は6年後。
そのころ親父、86になってます。さすがに微妙だと思いません?
会えるうちに、機会のあるうちに会っておきたい、と思うのかも。
兄弟がいない私にはよくわかりませんが、親子でも同じかな。死ぬ前にガキどもには会っておきたいと思うかもね。
そんなわけで折角の機会ですし、僕ちょうど無職ですからwww
できるうちに親孝行もしておいてやろうかと思います。
ただいま。
無事手術を終えて戻ってまいりましたこの私。本日退院と相成りましてございます。
ご心配またお見舞いくださいました皆々様には厚く御礼申し上げまして候。
てことで、以下薄気味悪い話(単に手術の体験談ですがね)を。
遡ること1週間、10/23(日)の夕飯後から絶食&断水、10/24(月)の朝目覚めてからも空腹と喉の乾きに耐えつつ手術を待ちます。
一昼夜は意識が戻らないので、前夜の内に下剤も飲み、身も心も空っぽで手術のときを迎えます。
手術は朝一(9:00)開始でしたので、その前にカミサンがやってきました。カミサンの付き添いのもと、ガラゴロと手術室へ。
手術室前でICU看護師の方々が紹介され、麻酔医の先生や執刀医の先生が手術室に入ってきました。
手術台に移動し、手を動かないよう固定されます。
心電図モニターと脈拍計、血圧計が装着されていきます。
で、いよいよ麻酔スタートです。
左手の甲に点滴針を刺して、そこから麻酔液を注入。同時に笑気(ガス)麻酔をかけていくのですが。
この笑気麻酔すげえ。
○○を○グラム入れていきますー 次○○を○グラムいれますねー みたいに、麻酔医の先生は淡々と事務的に作業を進めていきます。
ここで笑わせられたり冗談カマされても困るので、淡々とやっていただいて助かりますがそれはどうでもよろしい。
ドラマでクロロホルムで倒れるシーンあるじゃないですか。あの倒れて意識が混濁していく映像。もやややーん って。
あれ、あのまま。
あまりの楽しさに、意識が落ちる前に言わずにいられず、頭の傍にいた麻酔医の先生にむかって
「すげえグルグルしてるっす!ドラマと同じっすね!面白いっすね!」
って言った記憶を最後にその日は意識不明の重体(一部不適切な表現ですね)
話によると術後ICUで一度目を開けたらしいですが、その記憶はございません。
次に目覚めたのは25(火)の朝9:00を回った辺りだったと記憶してございます。
「麻酔抜きましたんでもう起きると思いますよー」
と言った先生をじっと見ていたら
「あ、起きてた」
と言われ。腹が減りすぎて、空腹で先に目覚めてしまいました。
呼吸器が口に突っ込まれているので声が出ませんし、麻酔も完全に切れてませんので、のんびり息だけしてぼんやりしてます。
目だけでキョロキョロすると、カミサンや父母が、まぁ近くに来ていて、寝ている私を見ているわけです。
で、そう何分もしないうちに家族が外に放り出され、術後の処置を開始します。
正直、手術よりも何よりも、これがイッチバン辛かったです。
まず前日、喉を横方向に切開してるわけです。それなのに後頭部側に頭を仰け反らせられ、内視鏡を鼻から突っ込んで喉の内側の腫れや炎症をチェックします。
喉がマズイと呼吸器が外せないため、チェックするとの事前指導がありましたので覚悟はしておりました。
「カメラで見ますので、ちょっと苦しいですけどー」と若くて可愛い先生が言った次の瞬間。
容赦ない勢いでズドンと鼻の奥にカメラが突き当たり、グイン、と向きを変えて一気に喉の奥へカメラが進みます。
でキョロキョロしてます。喉の内部で。
吐き気のひどいこと。そして傷口の痛いこと。さらに鼻の奥の痛いこと痛いこと。
しかもよく見えないのか鼻血が邪魔なのか、一度抜いて反対の鼻穴からズガンと再挿入。
全く同じプロセスで全く同じ痛みを2度繰り返すのは拷問の基本だと知りました。
この時ばかりは声も出ないのに泣きました。ついでに洗いざらい白状したくなりました。
でまぁグリグリと喉を見て、大丈夫そうだというので呼吸器の管を抜くわけです。
自分の目の少し下あたりに呼吸器のてっぺんがありまして、口の中の感覚では喉の入口付近まで管が通ってそうなイメージなのです。
「じゃあ呼吸器抜いていきますよー」って若くて可愛い先生が言った次の瞬間。
ずるずるずるずるずるずる
って!!!
ずるずるずるずるずるずる
って!!!!!!!
何cm入ってんだよ俺の中によ!!! って言いたくなるレベルの寄生虫まがいの長い物体がどんどん出てきます。
吐くところでした。抜くのが苦しいとかじゃなく、おぞましくて。確かに苦しくもありましたがね。
だって体内に(喉の奥から)20cm以上の長さですよ。鼻の頭のあのてっぺんから勘定したら、あんた楽に30cmはありますよ。
おえー
でやっとこサッパリして、意識混濁ですよ。痛み止めのモルヒネがバンバン点滴されてまして、これが眠くなるっすよ。
でもまた家族と合流して、次に回復室という、術後一泊するような部屋がございまして、そちらに移動です。
「腹減った」「麻酔おもしれえ」としきりに訴えていた記憶がありますが、やはり混濁してますので中途半端な記憶しかありません。
回復室では5分寝ては5分起きて、といったサイクルこそ忙しいものの意識朦朧と過ごしました。
25日は朝からカミサンと両親が見舞いに来てくれたのですが、まだ本回復した訳じゃないのであんまりちゃんと対応もできず。
意識はある程度はっきりしてるんですが、モルヒネのはずみでいきなり寝ちゃうんですよね。
このとき何を会話したか、ほとんど記憶に残っていないのがその証拠です。
でも深夜、窓の外を誰かが歩いていたのを目撃したのが気になって眠れない!って次の瞬間には寝ましたけど。
翌26日午前中、カミサンが見舞いに。同日午後友人が見舞いに。その後両親が見舞いに。
この日の記憶も不明瞭ですが、友人に「カテーテルマキが…」と言って二人で爆笑した記憶だけが鮮明です。
その夕方辺り?だったと思いますが、元々いた外科の病棟の部屋に移動になりました。
この時点で気づいてはいましたし、先ほど友人にも言いました通り、私には尿道カテーテルが挿管されてるわけです。
また怖いアイテムが一つ増えてしまいました……
この日から流動食に等しい3分粥が出され、無理やり体を起こして食います。
食いますが、空腹のあまり一気に全部食ったらしゃっくりが止まらなくなり、翌朝までノンストップで眠れず。
この翌日27(金)朝の回診で、手術の傷口から出ている管(これには気付かなかった)が抜菅されます。
当然傷口に埋め込まれてる訳ですから、抜く時痛いです。思ったほどじゃなかったんですが、それでも痛かったです。
そして若くて可愛いナースさんがお二人やってきて
「おしっこの管とっちゃいますねー エヘ」みたいな(妄想と誇張が含まれております。怒張はしておりません)
もうこちらには恥も外聞も残っておりませんので、お好きにどうぞってなもんです。むしろどうぞ。
で、痛みに耐え忍ぼうという体制を整える前に「ひょい」とばかりに抜菅されてしまいます。
アンタそんな無造作な!!!!
痛いとかじゃなくて、熱いです。
尿道内ヤケドします。そのくらい(体感的に)熱かったです。で固まっておりますとナースのお一人が「あ、固まった」とか言います。
そりゃ固まるよ。
その日出てきたご飯は5分粥です……昨日より硬くなった、とは言え。
俺は肉が食いたいんだ。
俺は肉が食いたいんだ!!
と叫びますが、そういうルールらしいので如何ともできません。肉はおあずけです。
汁すすって、具のない味噌汁の汁すすって、と汁まみれです。腹にたまった気がしません。
管が抜けたということは、トイレなりなんなりは歩いて行かなければなりません。
歩いていくにも点滴が邪魔で、まぁ管を上手くよけて点滴台につかまって立ち上がろうとするんですが、何しろソレまで丸3日寝てたわけです。
足には力が入らないわ、体を起こそうとすると傷が痛むわ、立ち上がってはベッドに尻餅という有様。
なんとかヨボヨボとトイレに行きますと、なんか個人用の袋に尿をためてくださいと言われ、ビーカーにとって袋に溜めます。
部屋に戻って早々に寝たいところですが、まだ昼です。
というわけで本を読みつつ時間が過ぎるのを待ちます。
寝ても夜中にすぐ目が覚めてしまい、ろくに眠れません。ここまで寝すぎた弊害でしょうか。
翌日は7分粥、更にその次の日は全粥となるのですが、生来流動食は見るのもいやなタチです。
ぶっちゃけ食欲旺盛なのに食欲が湧かないと言うものすごいジレンマに襲われ、病院の売店で固形物を買ってこっそり食べる始末。
いいのか俺。
よくない。よくないけど流動食はいや。
この時点(金曜~土曜あたり)で、足腰はかなり元通りに復元します。
6Fに入院していたのですが、1F売店まで階段を駆け下りるという荒業で体力を強制的に回復。さすがに傷に響くので、頻繁にやるとアレだと思います。
で、土曜に仮出所(?)というご沙汰をもらえたので、家に帰ってPCさらったり携帯いじったり本を買い込んでみたりして病院へ戻ります。
結局すぐ読み終えてしまい、日曜の午後、再び外出許可を得て徒歩5分のブックオフまで本を買いに行きます。
買い込んで病院へ戻るという不毛な外出を乗り越え、やっと本日退院の沙汰が出たのは良いのですが、思いのほか時間がかかり。
10時過ぎには支度を終えていたにもかかわらず、病院を出たのは13時という有様でした。
カミサンが13時から仕事だったため、父の車で自宅へ戻り、様々な案件を片付けて再度病院へ。
未受理の薬と未処理の請求書を受け取り、退院と支払いの手続きを完了した上で帰宅。
おかげさまでこれだけの長文を書く程度には回復しておりますので、皆様ご安心の程を。
ブログUPしとこう、と思ったら、トラブった。
普段、メインのブラウザはGoogleChromeを使っています。そしてブログは.Text。
この二つは相性が悪すぎて、通常の状態では(入力画面の)表示がへんてこになり、入力→UP で、とんでもない日記をUPする羽目になります。
なのでIETabという拡張機能を使って、あたかもIEから入力しているような(IEだとちゃんと入力画面が出てきます)形で作業しています。
先ほどChromeのフォントが壊れて、ろくにサイトの文字読めませんみたいな状態になり。
アンインストールして、インストールしなおしたら、追加してた拡張機能が全部吹っ飛んでて。
ツイッタは見れないわ、自分のブログの記事がへんてこな事になってるわでもう
双子のお守りをしながらの機能追加は面倒でしたとさ。
明日から入院、です。
バセドー病なので、甲状腺の大半を切除する手術を行うわけです。
手術は来週、術後1週間程度で傷は塞がるような話です。
よって、明日から最短で10日ほど、連絡のつかない状況に突入します。
正直、自分が頑張ってどうにかできることではないので、執刀する医者を信じるしかないのですが。
切る場所が喉なだけに、医者の説明を聞いてるだけで怖いです。
怖くて仕方ないです。
気合でどうこうできる話でもないですし。
ただ恐怖感だけが一日一日強くなっていきます。
口にするのが憚られるので誰にも言いませんが。
だから書いておこう みたいな
久々のブログ更新。
6月に通院したときに、甲状腺切除の手術を依頼した。
その時点で「手術がいつになるかは分かりません」という話だったので、とりあえず9月末~10月の中旬までには手術したいと話した。
その後通院を繰り返すうち、具体的な日取りは決まらないものの、大体9月末を目処に手術する話でまとまった。
なので、9月の締めを目処に会社を一度退職。完全に回復した後に職場復帰という約束で、退職。
その辺りに病院から電話が来て、手術の日程が決定するはずだった。
そのまま放置されること3週間。
このままでは11月の所得が0になってしまう。生活できん。
と思ってこちらから連絡すると「9月末~10月末にかけて、手術の日程を連絡することになっています」という話に。
実際混雑しているので、10月末手術ならその2週間前くらいに連絡がくるはず。
…と思って待ってみるが、一向に連絡がこないまま10月も2週目に突入。
改めて電話し、こちらの都合を述べた上で「当初の予定と違うので、とにかく早急に手術の日程を決めて連絡をもらいたい」旨伝える。
するとその日の午後、電話が。
「手術は24日、入院は20日、17日に入院前検査をしますので来て下さい」
それ…なんで即座に連絡くるの?
今まで数ヶ月待たされたのは一体なんだったわけ?
実はもっと早く手術できたんじゃないの?
と、対応に苛立ちを覚える。
が、そんなことはおいといて、手術日程が決まると「ヨウ素」を飲む必要があるということで内分泌内科へ連絡。
翌日病院へ行って、薬を処方してもらう。
というわけで、今週木曜には入院です。
が、とりあえずそんなことは全て置いといて。
最近連絡を取っていない、小学校の同級生(女)が、うちの娘に「お父さんいつごろ良くなる?いつごろ飲みに行ける?」って。
お前と飲む約束してないわけで。
家でそういう話されると、カミサンが「いつそういう約束したの?」とか面倒なこと言い出すわけで。
大体お前には俺が病気だという話すらしてないわけで。
軽く気持ち悪いんだけど。
そんなわけで、最近思い出した数年前のブラックな事件を、違う角度で再度思い出してしまった。
治療に専念させろや
こんなに面白くない思いをしたのは久々だ
って言いたかったのに
なんでこう四六時中面白くない思いをしなければならないのかと
毒吐かないようにと思ったのですが無理でした。
おもしろくねぇ
開発クライアントにて、
1.「アプリケーション(Applications)」フォルダ内の「ユーティリティ(Utilities)」フォルダを開き、キーチェーンアクセスを起動します。
2.「環境設定(Preferences)」メニューで、「オンライン証明書状況プロトコル(OCSP)(Online Certificate Status Protocol (OSCP))」と「証明書失効リスト(CRL)(Certificate Revocation List (CRL))」を「切(Off)」に設定します。
3.「キーチェーンアクセス(Keychain Access)」>「証明書アシスタント(Certificate Assistant)」>「認証局に証明書を要求(Request a Certificate from a Certificate Authority)」を選びます。注:この過程で不適合な秘密鍵がキーチェーン内に強調表示された場合、証明書要求はProgram Portalによって受理されません。
「<秘密鍵>を使って認証局に証明書を要求(Request a Certificate From a Certificate Authority with<Private<Private Key>)」ではなく、「認証局に証明書を要求(Request a Certificate From a Certificate Authority)」を選択していることを確認します。
4.「ユーザのメールアドレス(User Email Address)」フィールドに電子メールアドレスを入力します。入力した電子メールアドレスが、iOS Developerとして登録した時に送信した情報と必ず一致するようにします。
5.「通称(Common Name)」フィールドに、キーチェーンアクセスアプリケーションでiOS Developerの秘密鍵を識別する一意の名前を入力します。
6.「CAのメールアドレス(CA (Certificate Authority) Email Address)」は必須ではありません。次の手順を完了すると、「必須(Required)」というメッセージは削除されます。
7.「ディスクに保存(Saved to Disk)」ラジオボタンを選択し、要求があれば、「鍵ペア情報を指定(Let mespecify key pair information)」を選択して「続ける(Continue)」をクリックします。
8. 「鍵ペア情報を指定(Let me specify key pair)」を選択した場合は、ファイル名を指定して「保存(Save)」をクリックします。次の画面で、「鍵のサイズ(Key Size)」に「2048ビット(2048 bits)」、「アルゴリズム(Algorithm)」に「RSA」を選択します。「続ける(Continue)」をクリックします。
9. 「証明書アシスタント(Certificate Assistant)」によってCSRファイルがデスクトップに作成されます。
承認のためにCSRを送信する
1.CSRを作成したら、iOS Developer Program Portalにログインして「Certificates」>「Development」に移動し、「Request Certificate」をクリックします。
2.次のページで「Choose File」ボタンをクリックし、CSRを選択して「Submit」をクリックします。CSRの作成プロセスで「鍵のサイズ(Key Size)」が2048ビットに設定されていなかった場合、このCSRはPortalによって拒否されます。
3. 送信するとすぐに、電子メールによって証明書要求がTeam Adminに通知されます。
4.CSRがTeam Adminによって承認または拒否されると、証明書ステータスの変化が電子メールによって要求側に通知されます。
CSRの承認
Team AgentとTeam Adminには、すべてのiOS開発用証明書要求を承認または拒否する権限と責務があります。Team Memberからの要求を承認または拒否するには、最初にすべてのTeam Adminが自身のCSRを承認のために送信しなければなりません。
1. 承認のためにCSRを送信すると、Team Adminは、「Certificates」セクションの「Development」タブに誘導されます。ここで、CSRを承認または拒否できます。それには、各要求の横にあるチェックボックスをチェックして、ページ下端の希望のアクションをクリックします。
2. CSRが承認または拒否されると、要求側のTeam Memberに、証明書ステータスの変化が電子メールによって通知されます。各iOS開発用証明書は、承認のためにCSRを送信したTeam MemberとTeam Adminの両方から利用できます。
CSRのダウンロードとインストール
1.CSRが承認されると直ちに、Team MemberとTeam Adminは、Program Portalの「Certificates」セクションから証明書をダウンロードできます。iOS開発用証明書をローカルマシンにダウンロードするには、その証明書の横の「Download」をクリックします。
2.キーチェーンアクセスを起動して証明書をインストールするには、ローカルマシン上で downloaded .cerファイルをダブルクリックします。
3.Team Memberは、自身のiOS開発用証明書のみをダウンロードできます。Team Adminには、すべてのTeam Memberの公開の証明書をダウンロードする権限があります。AppleがCSR用の秘密鍵を受信することはありません。秘密鍵は、最初に鍵ペアを作成し人以外は利用できません。また、秘密鍵は、そのTeam Memberのログインキーチェーンに格納されます。
秘密鍵の保存とほかのシステムへの転送
複数のコンピュータ上で開発したり、システムOSを再インストールする必要がある場合は、秘密鍵を安全な場所に保存することが非常に重要です。秘密鍵がないと、Xcodeでバイナリに署名したり、任意のAppleデバイス上でアプリケーションをテストすることができません。CSRが生成されるときに、キーチェーンアクセスアプリケーションが「ログイン」キーチェーンに秘密鍵を作成します。この秘密鍵は、ユーザアカウントに関連付けられており、OSの再インストールによって失われると再作成はできません。複数のシステム上で開発やテストを行う場合は、作業を行う予定のすべてのシステムに秘密鍵をインポートする必要があります。
1.安全を確保しながら秘密鍵と証明書をエクスポートし、複数のシステム上で開発できるようにするには、キーチェーンアクセスアプリケーションを開き、「鍵(Keys)」カテゴリを選択します。
2.iOS開発用証明書に関連付けられた秘密鍵をコントロールキーを押しながらクリックし、メニューから「<項目>を書き出す(Export Items)」をクリックします。秘密鍵が、それに対応するiPhone Developer(<First Name> <Last Name> 公開の証明書)によって識別されます。
3.この鍵を個人情報交換(Personal Information Exchange)(.p12)ファイル形式で保存します。
4.この鍵を別のコンピュータにインポートするときに使用するパスワードの作成を要求されます。
5.これで、この.p12ファイルをシステム間で転送できます。この鍵をシステムにインストールするには、この.p12ファイルをダブルクリックします。手順4で入力したパスワードを要求されます。
証明書の有効期限の管理
iOS開発用証明書は、発行日から1年間有効です。iOS開発用証明書の期限が切れると、iOSアプリケーションに署名したり、デバイスにインストールすることができなくなります。開発を継続するためには、Apple Developer Member CenterまたはiPhone Provisioning Portalで、期限が切れたiOS開発用証明書を無効(Revoke)にします。証明書を無効にすると、新規にCSRを作成して、新しいiOS開発用証明書を取得できます。iPhone Developer Standard Programでは、iOS開発用証明書を無効にしてもデバイスにすでにインストールされているアプリケーションに影響はありません。ただし、iOS開発用証明書の期限が切れている場合は、アプリケーションをデバイス上で実行できなくなります。
ラボのサーバーはいろいろあって、づっとWindows7のVirtualPC上で動いていた。
しかも、拠点めぐりようにノートがほしいと思っていた矢先、チヨサンがMacbook Air購入。
WindowsPCの同等のマシンと比べても安いしWindows動くし。ということで買うことにした。
電気屋を回ってもMACは無し。うろうろしていると...
①そういえばモニターも一台壊れたなと思い。LGの27インチワイド購入。
②3Dってどんなもんだろ?とLGの3D23インチワイド購入。
③なんか画質いいのほしいなーと思ったら、BenQの24インチワイドが際立って鮮明だったので購入。
あれ?まぁいいか。
チヨサンに電話すると青森には確実にあるとのこと。さっそく行く
①MacBook Air11インチのSSD早いやつ購入
②さすがにテレビ見れるようにしようかとMAC用チューナー
③MAC用USB-LANコネクタ購入
ここは予定道理...ちなみに②は結局動かなかった。
新OSに対応していないのとx64に対応していないらしい。結局テレビは無しの人生ってことで
で残りでクライアントを作って、今のをサーバーにしようかと...まー8万くらいでいいの組めるだろう...と、うろついていると
おや?いつのまにか財布がほぼ空になっとる...おや?
--------------------------------------
|
|
| コンポーネント |
詳細 |
サブスコア |
基本スコア |
| プロセッサ |
Intel(R) Core(TM) i7-2600K CPU @ 3.40GHz |
7.6 |
|
| メモリ (RAM) |
8.00 GB |
7.6 |
| グラフィックス |
NVIDIA GeForce GTX 570 |
7.9 |
| ゲーム用グラフィックス |
4095 MB の 利用可能な総グラフィックス メモリ |
7.9 |
| プライマリ ハード ディスク |
空き 874GB (合計 931GB) |
5.9 |
| Windows 7 Professional |
| システム |
|
| |
製造元 |
MSI |
| |
モデル |
MS-7681 |
| |
システム メモリの合計 |
8.00 GB RAM |
| |
システムの種類 |
64 ビット オペレーティング システム |
| |
コア プロセッサの数 |
4 | |
| 記憶域 |
|
| |
ハードディスクの合計サイズ |
931 GB |
| |
ディスク パーティション (C:) |
空き 874 GB (合計 931 GB) |
| |
メディア ドライブ (D:) |
CD/DVD | |
| グラフィックス |
|
| |
ディスプレイ アダプターの種類 |
NVIDIA GeForce GTX 570 |
| |
利用可能な全グラフィックス メモリ |
4095 MB |
| |
専用グラフィック メモリ |
1280 MB |
| |
専用システム メモリ |
0 MB |
| |
共有システム メモリ |
2815 MB |
| |
ディスプレイ アダプターのドライバー バージョン |
8.17.12.8026 |
| |
セカンダリ モニターの解像度 |
1920x1080 |
| |
プライマリ モニターの解像度 |
1920x1080 |
| |
DirectX バージョン |
DirectX 10 | |
| ネットワーク |
|
| |
ネットワーク アダプター |
Realtek PCIe GBE Family Controller | |
|
ヤッチマッタナーwww
自分は友人に恵まれている方だと思う。
彼らのおかげでお天道様に顔向けできる生き方をしているとも思う。
親の背中をみて子供は育つ。
親の背中から子が学ぶものは「生き様」そのものだと思う。
同様に、友人の背中からも「あー、俺もしっかりしねーとな」 とか 「がんばってるなー」とか感じることは多い。
まるで親のように、背中から何かを学べるそんな友人たち。
だから「親友」なんだな、と思った。
「精神的に病んでそう」
「なにか悩んでそう」
「無職の時みたいなオーラが出てる」
爆笑しましたが、上記はさきほどカミサンに言われた言葉。
・・・病んで見えてるなら問題だと思います。いかんな。ちゃんとせねば(本人全然自覚ないので軽くショックです)
カウントダウン開始。
あと4日で双子が2歳になります♪
いろんな言葉を(単語レベルで、しかもたどたどしいけど)話すようになりました。
一人でご飯やらおやつやら、ぶちまけながら食べます。
機嫌が悪いと騒ぎます。
そして宵っ張りです。
健やかに成長しててうれしい限りですが、もう少し早く寝ようよマジで。
強いふりをして生きてきました。
強がって守ってきたものって、せいぜいが「自分の安いプライド」くらいのもの。
一度強がってしまうと、弱いところをさらすことができないので強がり続けるしかなくなっていき。
本当の意味で、守るべきものができた今。
強がるまでもなく、自分は間違いなく強くなったと感じるシーンが多々。
今弱くても、明日。
そしてそう遠くない将来に、誰もがきっと強くなれるんだと。
僕には、恋に落ちるような幼馴染がいませんのでわかりませんが、幼馴染。
それも生まれてからずっと みたいな幼馴染。
そりゃ特別な存在だろうよ と思います。
娘にとっての幼馴染。
ま、友達の息子なんですが。
ぶっちゃけ自分の息子のように思うこともしばしば。
今年から中学にあがった娘は、学区の変更を届けたため、本来は幼馴染と同じ中学に通うところを、別の中学に進学しました。
当然、小学校の同級生たちのうち、学区変更を届けなかった友人たちは、その幼馴染の通う中学に進学していきます。
長い前置きでしたが先日のこと。
娘の誕生日直後あたりに、クラスのとある一人の男子が、ちょっとしたサプライズ的な? プレゼントを娘にあげたようで。
花なんですが、ちいさな花びらの小さな花。 「手・・・出してみ?」・・・的な!?
握った手の中から、娘の手の平にはらはらと。 「これ、やるよ」・・・的な!!!
(ごめん、おじさんこういう甘酸っぱいの大好きでさーwww)
ちょっと嬉しかったのか、娘は帰ってくるなり(安物ですが)切子のグラスに水を張り、その花びらを浮かべるようにアレンジしていました。
ズボラな娘が、それから毎日マメに水を取り替えていたところを見ると、思いのほか嬉しかったのかも。
つか、なにをやっとるんだ、昨今の中学1年生www 小洒落た真似しやがってwwwww (ってそうじゃなかったw)
あーーーー 甘っっっ!!!
・・・それとはまた別の日に。
幼馴染くんが通う中学に進学した元クラスメイトと、たまたま小学校の校庭で遭遇した娘。
その元クラスメイトの少年は、なんと幼馴染くんと同じクラス。
「なぁ、○○(幼馴染くん)って、××(ウチの娘)の彼氏なんだべ!? マジで!?」
的なことを聞かれ。
「はぁぁぁぁあああ!? いや、ちげーし!?」
って・・・
娘、そんな全力で否定してやるなよ・・・
それと、女の子なんだから「ちげーし」はヤメナサイね。
「えー!?付き合ってんだべ!?本人(幼馴染くん)が言ってたしー!」
幼馴染くん、君、学校でいったい何を言ったのかねwww
「ちげーって!!! ○○(幼馴染くん)、マジうぜぇっっっ!!!!」
オイwwww うぜぇとか言ってやるなよ・・・
あと女の子なんだから「うぜぇ!」ってのもヤメナサイね。
ハタから見ててもわかるくらい、仲のいい(そりゃ幼馴染だもんね)二人。
かわいいもんです。見てて微笑ましくなるくらい。やっぱり幼馴染って特別だな、って、見てて思えるくらい。
・・・俺がただのオッサンになってきたって説もありますが。
そんなこんなで、そろそろ父の与り知らぬ所で、幼い恋愛模様が展開し始めております。
そんな年ですか。多少早いような気もしますが、中学生ですからね。変でもないですね。
コレを肴に酒が飲みたいとつくづく思うのです。
なぁ、飲み会やろうぜ
5/14、結婚記念日です。結婚して丸14周年。
結婚当時、25歳だったオイラも気づいたら今年40を迎えます。
カミサンも24歳だったのに。
かわいかったなあ・・・(遠い目)
はっ、いかん。 今もかわいいですよホントに。
カミサンの親に「幸せにして見せますから」って大見得切って強奪してきたのですが。
さて、幸せでしょうか?カミサン。
散々苦労させてばかりのような気もします。へへへ。甲斐性なしですねぇ。
お互い一人っ子だったので、子供はたくさん欲しいね って言ってたから、そこだけはよかったかな。
結婚した次の年に長女が生まれ、いろいろあって7年も空いちゃったけど次女が生まれ。
おととしの夏には双子の男児が生まれ、と。
子宝には恵まれました。
オイラには血縁がいないので、心底うれしいし、ありがたいことです。
生まれるたび、影でこっそり嬉し涙を流したりしましたが、それは秘密です。
カミサンには感謝の気持ちでいっぱいです。
貧乏人の子沢山。あれ?何の話だっけ
ああ、そうそう15年目に突入しましたが、前年より少しでも幸せにしてやれるように、こっそりがんばります。
あくまでもこっそり。
さて、先週あたりから喉の腫れがひどくなってきました。
前の週に紹介状を書いてもらっていて、県病の内分泌内科を受診するように言われていたのですが。
仕事にかまけていかずにいたら、症状が先に悪化してしまいましたとさ。
冗談じゃない。
というわけで、あわてて紹介状を受け取りにいき、今週はできる限り早く、県病を受診しなければ・・・
切るも切らぬも医者次第~♪ とくらぁ
震災から40日近くが経過しました。
GSや物流に関しては、ほとんど元通りになったと思っていいくらい回復しました。
が、先の4/7の深夜、日付が4/8に変わろうというあたりに再び地震。そして停電。
翌日の昼まで電気は回復しなかったわけですが、結果として再びウチの仕事は遅れてしまったのでした。
問題は、違う意味での物流。
物流は回復しているのに、スーパーに商品が並んでいません。
もちろん製造工場が動いてないことも影響していますが、さしてここでは問題になりません。
問屋にはごっそり荷物が入ってます。
問屋からスーパーへの配送も走ってます。
じゃあ何が悪いのか。
出荷指示がおかしいのです。
問屋の倉庫に商品を一時保管して、出荷指示に従い出荷する という流れで小売店に商品が配送されます。
もちろん小売店からの注文に従って出荷するのがセオリーなのですが、商品がそろわない状況下では出荷制限がかけられます。
この出荷制限が曲者。
在庫が倉庫にいっぱいあるにもかかわらず、出荷制限がかけられているアイテムが多数存在します。
倉庫には物があふれかえり、スーパーの棚には物がない という状況が発生します。
震災から1ヶ月が過ぎたというのに、メーカーや問屋サイドが買占めしてちゃ話になりませんというお話でした。
かろうじてガソリンは入れることができ、帰宅したら電気も通ったので一安心したのも束の間。
その日以降、ガソリンを入れることが出来なくなった。
当然自家用に限った話ではない。
運送屋につとめる自分としては、ガソリンが入手できない=仕事ができない=収入が途絶える のである。
そして食糧難、商品不足が発生し始めた。
まずカップラーメンやインスタント食品、すぐに食べられるパン、続いて缶詰が玉砕。
かろうじて土曜(12日)に買い溜めてあった食材で数日を乗り切ることになる。
無論、まるで手に入らない避難所の方々に比べるべくも無いわけだが、こういう事態になって初めて被災地に住んでいるのだという事を実感する。
会社の車は開いてるスタンドを見つけるたびに現金で少しずつ(給油量制限が設けられているため)給油し、かろうじて仕事は出来る状態に。
しかしである。
東北の物流の要である仙台が、津波による甚大な被害のために機能しなくなっている。
つまり、青森には物が入ってこないということだ。
しかも、メーカーサイドでは「送ったところで届かない」のを理由に東北圏への出荷を停止したのである。これが火曜(3/15)の事だ。
流通が死に、メーカーが出荷しないとなると、本格的に物流は停止だ。仕事がないのだから当然だ。
さて、同様にコンビニへの出荷も停止になるのだろうと踏んでいたのだが、これは話が違った。
流通がストップしたのをいい事に、倉庫に眠っている過剰在庫を処分し始めたのだ。
本部支持による全店指定出荷。有無を言わさず商品を送り込むという手口だ。
被災地に少しでも商品を供給しようという意識ならまだ可愛げがある。
が、在庫金額が張りしかも動かない「ガム」や「乾物」を出荷しようと言うのは「自己都合」でしかない。
こちらの都合で商品を選び、被災地に送り込んでどうなる。
コンビニの店頭には酒も乾物も余っているのが実情だ。
しかも、無条件に全店出荷しているものだから、被災して営業できない店舗の分まで荷造りする羽目に。
当然届けた先は営業していないので、またウチの倉庫に荷物が帰ってくるわけだ。
帰ってきた荷物を倉庫に戻すとなると、出荷した時点での商品と、現在棚にある商品との、賞味期限との整合性が取れなくなったりするケースが生じる。
簡単にいうと賞味期限の逆転だ。
出荷時は問題なかったが、返品されて帰ってきた時点ですでに賞味期限が古いものになって使えないのである。
これが商品1つや2つだったらまだいい。
全店30アイテム出荷して、それが全部帰ってきたのだ。唖然としてしまう。
この辺は責任の所在を明確にしておかなければなるまい。
そうしているうちに、完全に入荷がストップした。
しかし、すぐに名古屋方面から10t積みに満載でこちらに向けて出荷したと言う情報が。
ふと気づくと、ガソリンも平常とまではいかないが、給油渋滞も少なくなってきた。これが金曜(3/18)のこと。
震災から丁度一週間である。
直撃を受けた被災地への移動手段や連絡は未だに完全ではないが、周辺の市町村に関しては元の機能に近づいてきたようだ。
被災後一週間。
麻痺した機能が戻り始めるまでの時間である。
表題は年月日、そして時刻です。
その瞬間、ちょうど八戸行きの荷物を積んでおいらせ町を走行していました。まもなく下田に差し掛かろうかというとき。
襟をつかまれて振り回されるような揺れ というのが正直な感想ですが、トラックごと振り回されるような揺れ。
慌てて停車し、ステアリングを握り締めて揺れが収まるのを待ちました。
ラジオからは緊急地震速報が流れていますが、地震による地磁気の乱れか、ノイズがひどくてちゃんと聞き取れない状態。
揺れが収まるまで2分以上そうしていたでしょうか。
再度走行し始めた時、津波警報が発令になりました。30分ほどで沿岸に到達する恐れとの事。
幸い沿岸方面へ向かうことは無い(とはいえ、後で確認したら走行していたエリアのちょっと向こうは津波による被災区域でした…)。
そのまま八戸方面へと走行していきますが、信号がすべて消えています。
停電のニュースがちらほら出ていますが、正確な情報が伝わっているわけじゃないのでアナウンサーも曖昧な事しか言えません。
そりゃ「停電している地域があるようです、交差点など走行の際は十分注意して下さい」くらいしか言えないわな。
八戸道の真下で余震。かなり大きい。高架が落ちてきたら挽肉だ、と思いながら、前の車に圧力掛けて押し出す。
それでも前に出ようとしないのでクラクション。周辺車両をすべて停めて、とにかく高架下から脱出。
陸橋を越え、奥入瀬川にかかる橋の真上から川を見ると水が無い・・・
半分以上、川底が露出している状態だ。これは大津波が来るぞ・・・
と思った瞬間、ラジオから「大津波警報が発令になりました」とのアナウンスが。
大急ぎで八戸北バイパスを駆け下り、給油しようとGSに頭を突っ込んだら店員が「すいません、停電で給油がストップです」と。
そうか。このとき初めて気づく。
停電するとGSが機能しなくなるのだと。
やむなく荷物を下ろしに行こうと八戸のセンターへ。当然避難してて誰もいない。
そうこうしているうちに何度目かの余震。
検品している余裕がないため、積んで行った状態のまま下ろして、後日回収という形にした。
そのまま青森へ向かうのだが、どう転んでも経由が足りない。
みちのく有料道路まで、八戸~おいらせ町~六戸町~十和田~七戸町~東北町~乙供~天間林と駆け抜けるわけだが、真っ暗。
行き交う車のヘッドライト以外の明かりなどないのだ。
当然だが、みちのく有料道路に入ったら真の闇。しかも猛吹雪。
速度を下げて、省エネ運転に徹するも、時すでに遅しという感じ。
それでもどうにか料金所を過ぎ、手近な駐車帯に車を寄せて電話。
しかし災害時につき携帯の発信制限が。
にもかかわらず、いきなり友人2人にはつながったwwww
その後社長・同僚に相次いでつながりはしたものの、市内も停電でGSは機能しておらず、やむなくそこに車を捨てて、カミサンに迎えに来てもらうことに。
しかし、電源を使う(ウチの場合は光電話なので)固定電話はつながらないのですよ、停電だと。
そして家族は俺以外携帯を持っていない。
やむなく最初につながった友人に電話してみたらすぐつながりましたww
友人にお迎えをお願いし、車のエンジンを止めてラジオを聴いていると、なにやらすごい津波で大変なことになっている様子。
なんとか友人に家まで送ってもらい、ストーブのない夜をすごす。
幸いこの時点では水道とガスは機能していたので夕食に関しては料理ができた。
翌日目覚めると水道が止まっている。
団地なので、一度ポンプで建物の上に回しているのだが、そのポンプが停電で動かないためだ。
昨夜の水は、上に残っていた最後の水だったのだろう。
前日出ていた水が出ない!となると死活問題になる。そこで実家に避難することにし、一旦家族全員で実家へ。
こちらは水道もガスも安泰だ。停電は東北の北3県(に限らず)同様の状態なのでやむをえないとして、反射式ストーブには助けられた。
あいてるGSでガソリンを確保して一安心したのがその日の午後。
カミサンの仕事も休みとなってしまった。クリーニング屋は(いや、他もそうですが)電気が無いと何も出来ません。
夕方になると、長男が熱っぽい。一度自宅に戻って薬を取ってくることにして自宅へ。
自宅付近まで来て、信号が復旧していることに気づいた。停電が終わっている!急いで自宅に駆け込む。
すると北上市のカミサンの父親からだった。無事を確認し、長男の薬を取って実家に戻る。
実家は未だに停電状態ww 停電の復旧に気づいてなかったのかwww
TVをつけると被災状況の中継やVTRが流れ込んできた。
愕然とした。
愕然としたまま現在に到っているが、本当の苦難はこの日より後に始まったのだった。
続く
薬、また増えました。
一日3錠。
ぶっちゃけ、もう「切る?どうする?」なところまで来ちゃいました。
入用な時期に、予期せぬ家電破壊まで加わって家計が火の車なわけですが、そんな折に手術してる場合じゃなかったり。
仕事も人手が足りてない状態で、この期に及んでは「じゃあ代わりの人間を手配しなくちゃ」って言われかねない。
前例があるからマズ間違いなく言われるw
とはいえ体が資本、健康第一とか。会社はオイラの体の面倒までは見てくれないわけですし
あー困った困った 当面は薬のんどこう
サーバーの再構築に伴って、
サーバーの置き場所を車庫にして無線で接続してたのですが、
なぜか無線が切れまくりの状態に。
ここのところ氷点下の気温が続いたのでどこかおかしくなった模様。
仕方ねぇので、クライアントにしてたPCのVirtual PCで急遽SBS2003を構築。
常時稼働には不安がありますが新しいマシン買う余裕もないししょうがないねぇ。
ただ、深夜も常時稼働となると近所迷惑になるかもしれないので消音対策は必要ですな。
最近、持病(バセドー氏病)の症状が悪化して、薬が再び増えてしまいました。
2日に1錠だったのが1日1錠になり、現在は1日2錠。
しかしです。
薬が増えているのに症状の改善が見られない。
それどころか発病した当時の症状に近いくらいです。
発病当初は1日6錠。うーむ。
まず喉の腫れが大きくなり、傍目にも膨らんでいるのがはっきり解るほど。
そして発汗、手足の震え、力が入らない、動悸、など。
ちなみにこの病気、非常に排便が増えます。
当然のように1日2~3回、ひどいと5回くらい。
代謝が活発になりすぎる病気なので当然なのかもしれませんが、減っていく体重を補うため暴飲暴食。
1日7食くらい食べて、寝る前に腹が減る塩梅です。
調べてみると、運動やストレスは控えめに みたいな事が書かれているのですが、運送屋に運動するなってのはちょっと無理。
うまく付き合っていかなきゃいけませんが、とりあえず腹が減りました。
娘達のインフルエンザ予防接種、2回目をすっかり忘れていた。
おかげで半分しか接種できてない状態。表題の通りですね。
そんななか、娘の通う小学校で学級閉鎖が2クラス。
うーん、半分でも効果は出てるのだろうか?不安。
早めに2回目を接種すべきです。はい。
サーバーの公開に当たっては、ユーザーからドメイン名での名前解決ができないと、グローバルIPアドレスの特定ができずサーバーに接続できません。
グローバルのIPアドレスを持っていれば話は早いのですが、グローバルIPアドレスを1個取得するものでも、安くて一月8千円と、通常のプロバイダ接続料の4倍のお値段。
そこで、フリーのDDNS(ダイナミックDNS)サービスを利用して、プロバイダに接続するつど貸し出されたグローバルIPをDDNSサーバーに登録することで、DDNSサーバーで名前解決を行います。
①DDNSサービスに登録
・ドメインを取得したらそのドメイン管理業者で運用しているDDNSサービスに登録し、
登録マニュアルにしたがって公開するサービスのDNS登録をします。
※ドメインを持っていない場合でもDDNSでサブドメインを貸し出しているところがあるので、それを利用できます。
ただしその場合、「自分で指定した文字列.DDNS会社のドメイン」というドメインになります。
②DDNSへのアドレス登録ツールのインストール
・PPPoEでのプロバイダ接続&再接続でグローバルIPアドレスが変わるたび、および周期的に、
現状のグローバルIPアドレスをDDNSに登録しなおしてくれるツールです。
③ルーターの設定
・WAN側からルーターの取得したグローバルIPアドレス宛のパケットをすべて1つのPCに送る設定をします。
※大抵「DMZ」という設定箇所があるので、そこにサーバーのIPを設定します。
それがない場合はポート変換など、若干面倒な設定が必要です。
④サーバーのDNSを設定
・公開するサービスのローカルIPへの紐付けをします。
外から特定のPC1台のみに接続したいだけならこの設定は必要ありません。
⑤ウイルス対策
・自分のためにも、自分のサーバーが感染して他に被害を及ぼさないためにも
ファイアウォール&ウイルス対策は必須です。
こんなかんじかな。
①Windows Small Business Server 2003Premium Edition インストール
DVDメディアのほうでインストール開始
・サーバー名はHELLGATE
・NICは1つの構成
・ドメインはpandemonium.biz
・ユーザー情報の登録
②起動後「セットアップの続行」
・インストールコンポーネントの指定
・データフォルダの指定
③プレミアムテクノロジーインストール
・SQL Server インストール
・SPセットアップ
④Windows Update
⑤管理ユーザー変更
⑥Exchange Server起動
・Exchange Serverセキュリティ設定
・Exchange Serverサービス起動
⑦無線設定
⑧外部接続チェック
⑨データベース復元
⑩公開サイト再構築
⑪開発環境構築
・Visual Studio 2010 Express インストール
→ここまできた
⑫管理サイト構築
・稼働状況確認
・監視カメラによる監視
Hyper-Vのゲストで動かしていたsbs2003をVirtual PCに移行しようとしたものの、実はできないことが判明。
Virtual PCで新規でsbs2003を構築してバックアップの復元をしたらブルースクリーン。
仮想デバイスが違うから復元できない。
仕方ないので再構築。
ついでに構成をまとめることにする。
青森の冬ですから当然と言えば当然ですが、雪がよく降ります。
あっという間に積もって、子供達にはいい遊び道具になってますが大人達はウンザリ。

Yeah! posted by (C)HIDE@いろはす

召し上がれ♪ posted by (C)HIDE@いろはす
先日、友人の奥様の誕生日プレゼントとしてケーキを買いに行った時の街の様子。

雪の街 posted by (C)HIDE@いろはす
この日は多少片付いてますね。
その日の夕方、友人宅へ向かう直前の自宅付近の雪。

冬の夜 posted by (C)HIDE@いろはす
…やっぱりウンザリ、ですね。
朝のミーティングでfacebookの話が出たので、とりあえずどんなものか登録してみた。
よくわかんねwww
で、友人検索機能の動きテストしてるときに、
久々に友達を検索してみたら動画とかいろいろ発見。
いやー元気そうで何より。
おいらも折角、受肉してこの世界に立ったんだから負けずにエンジョイせねばのぅ。
早く雪消えないかなぁ。